炎天下、真っ直ぐに続く一本の砂利道。 車を止め、ずぅっと追いかけてきた砂煙が収まると、代わって蝉時雨が周りを覆い尽くした。 撮影場所: 埼玉県熊谷市 旧東武熊谷線跡 |
||
畑の中を、真っ直ぐ続く砂利道。炎天下、光り輝く金属の帯のように、緑のカーペットを断ち割って続いていきます。 梅雨明け前でしたが真夏を思わせる陽射しの下、太陽を待ちわびた蝉時雨の喧しさと、自分と愛車以外何もない砂利道の静寂さが同居する、不思議な空間でした。 |
||
熊谷市は終戦の前日の晩、八月十四日に大空襲に遭い、多くの人が焼け出されました。あと一日終戦が早ければ、亡くならずに済んだ人の無念は想像するに余りありますが、その記憶を留めている遺物は、あまり残されていません。この線路敷の他は大正末期に架けられた荒川大橋の鉄橋の一部が保存されているくらいでしょうか。 |
||
熊谷の空襲が、戦略上意味があったなどと思う人は、誰一人としていないでしょう。東京にはもはや爆弾を落とすところがなく、燃料を節約するために重たい荷物を捨てていっただけなのかもしれません。もっとも、戦略上の意味があろうとなかろうと、亡くなるのは銃後にあっては一般の市民であり、前線にあっても市民から徴用された一兵卒であることには変わりがありません。 あれから半世紀。「戦争の世紀」が終わり「テロの世紀」が始まってしまいました。ますます市民が犠牲になる嫌な世の中が、暫く続きそうです。 もともと軍事用に設計されたGとは違い、MLは平和な世の中で生活を楽しむためにマーケットに提案され、受容れられてきたクルマ。MLを楽しめる平和な世の中が永続するように願いつつ、炎天下で灼けるように熱くなった車内に乗り込みました。 |
||
「もう、道路になっちゃってますよ」 「そう、寂しいね〜。。。」 熊谷線廃止まで活躍した小さなディーゼルカーと共に。 今はもう、走ることができないディーゼルカーの代わりに走ってきたことを、機械同士会話しているのでしょうか。 photo&essay:nekobasu320 |