ML'sGarally '03年6月

 世界遺産、白川郷の合掌集落。
 残るもの、残されざるもの。

 撮影場所:岐阜県大野郡白川村

 東京の中心を循環する「山手線」の電車が、2005年を目途に更新されます。
 旧国鉄として初めて本格的にステンレス車体を導入した意欲作で、イニシャルコストの安さと省エネルギー性能が買われて民営化後も増備されましたが、新形式に職場を譲る日が近付いています。

 リプレイスされるといってもまだまだ使える電車ですから、今後東日本各地に「都落ち」して走りつづけますが、需要の多い「運転台付き」「動力付き」といった車輌は全て再就職が決まっているものの、運転台も動力もない、単なる箱だけの車輌は何両かが廃車になるようです。

 その一方で車体の長さが短く、大量輸送に向かないとして東京の大手私鉄からお払い箱になった電車が、松本・長野・金沢・松江・高松・松山・熊本といった各都市で再就職を果たしています。車体が小さいことが、却って手頃感とユーティリティーを生み出しています。まさに塞翁が馬、捨てる神あれば拾う神あり、です。

 職場を失っても、スキルや特技のある人は生き残る。人間社会の縮図を見ているようで苦笑してしまいます。


 ステンレスで電車を作れる国って、実はとても限られていて、日本以外にはポルトガルのSOREFAME社くらいしかありません(ノックダウン生産はアメリカでも行っている)。日本製のステンレス電車は、北米を中心に色々な街の地下鉄や通勤電車として盛んに輸出されています。

 
自動車や半導体以上に、国際的に生き残れる競争力を持った「特技」といえるかもしれません。

 ステンレスは鉄に比べて加工性が非常に悪いものの、錆びませんから、経年による劣化を見越した「安全率」を低くできるので、設計上重量を軽くできます。また、有害な有機溶剤を大量に使用する塗装工程が不要ですから、経済的にも環境面でも優位性があります。最近日本でも「銀色の電車」が増え、外国にまで輸出されているのはそんな事情があるんですね。

 積雪で家屋が潰されるのを避けるために、天高く合掌のように伸びる屋根。岐阜・富山県境一帯に見られる独特な様式で、日本で最初のユネスコ世界遺産に指定されました。

 世界遺産に指定されるのは、確かに「珍しいもの」「貴重なもの」に違いありませんが、その根底には普遍的な合理性が横たわっています。過去連綿と生き残ってきた、引き継がれてきたということは、それなりの存在理由と合理性が無ければ、とっくに競争に敗れリプレイスされているはずです。


 原爆ドームのような例を除き、文化遺産にしても自然遺産にしても、存在そのものが「廃れること」「新しいものに変わること」より優位性があったから残されたに過ぎません。その優位性が失われた瞬間に、「遺産」は「遺跡」なり、管理が疎かになれば「粗大ゴミ」になり果てます。

 遺産指定を機に観光地化して地域興し、というのも必要です。しかし、根底に流れるものを理解せずに消費してしまえば、いずれ現地の人間にも重荷でしかなくなり、観光地としても廃れてしまうでしょう。

 「遺産」のいいところを磨き、「遺産」として次世代に引き継ぐ根気の要る作業が、今後も続いていきます。



 歴史として眺めてみれば、「Mクラス」は高級SUVの先鞭を切った車として記録されるでしょう。商業的にも北米の新設工場から世界各国に輸出され、それなりの成功を見たと言えます。
 
 他メーカーの新車が続々登場する中、競争力や優位性は明らかに衰えつつあります。
 魅力的なクルマとして再生できるか、メルセデスのラインナップとして生き残ることができるか、ダイムラーの頑張りを期待したいものです。


photo:ねこばす320
essay:nekobasu320