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気持ちも新たに、MLライフを心から楽しめる一年になりますように。
撮影場所:
TOP画像 埼玉県川越市 喜多院
本文画像 埼玉県日高市 高麗神社・聖天院
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一年の計は元旦にあり。1/365(今年は366ですが)でしかないとは言え、日本人にとってはやはり特別な日です。
でも、太陽暦1月1日って、世界的に見たらどうなんでしょう。
キリスト教圏では、クリスマスのほうが大切にされるでしょうし、アジアでは旧暦の1月1日を祝う場合が多いですよね。
カレンダーは西洋の太陽暦に合わせながら、正月の風習は捨てきれず、本来の旧暦とは大ズレ。如何にも「日本的」な状態で失笑してしまいます。
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親愛なる隣国、大韓民国も帰省や正月の行事は、やはり旧暦で行なうそうです。
クリスチャンが多い国ですからクリスマスは盛大に祝いますが、それから旧正月までの期間は、普通の日常生活が戻ってきます。
日本国内にも北か南かは別にして、半島出身の方が多いのは周知の通りですが、「過去の不幸な一時期」よりも更に1000年以上前から、埼玉には半島由来の神社と古刹が存在します。日高市にある「高麗神社」と「聖天院」です。
奈良時代(8世紀)に高句麗から逃れてきた人々が定住した地域が、現在の埼玉県日高市にあり、現在でもその一帯を「高麗川(こまがわ)」とよびます。JRの駅名にもなっていますし、荒川水系の一級河川の名前でもありますから、関東近県の方で地名だけはご存知の方も多いでしょう。
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高度な土木技術を持つ彼らは、高麗川の流れを「Ω」型に変え、川に囲まれた土地を美田に変えるという離れ業をやってのけます。現在で言うところの治水事業と土地改良事業を、重機も無しに同時遂行してしまったんですね。奈良時代の公共事業は「巾着田」として今も残されています。秋には彼岸花が咲き乱れることで有名な場所です。
話題が少々ずれますが干拓やらダムやら高速道路やら、、、、、今の公共事業が1200年後まで姿を留めているものかどうか、私も公共事業に少しばかり関わっている都合上、気に掛かるところです。
そんな彼らを、精神的に支えたのが「高麗神社」と「聖天院」だったのでしょう。
一見、日本のどこにでもあるような山寺や神社に見えますが、両方とも「チャンスン(朝鮮半島のトーテムポール)」が飾られています。高麗神社のほうは木製の背の高いもの、聖天院のほうは、石製のスッキリした印象のものです。
木製の方がワイルドでプリミティブな素朴さを感じますし、私の印象ではチャンスンと言えばこちらのイメージが強いですね。石製のほうは、オブジェとしても十分鑑賞に耐えうる美しさと凛々しさを感じます。
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朝鮮半島における「過去の不幸な一時期」は拭い去りようも無い厳然たる事実です。
ですが、それを乗り越えるに足る、遠大で豊かで親密な交流の歴史が、身近に今も残されていることを、私たちは知るべきでしょうね。
因みに両寺社とも、初詣は日本のカレンダーに合わせて受容れ、相当の賑わいを見せます。お近くの方は出掛けて見られてください。
photo&essay:nekobasu320
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